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小林昭七先生記念シンポジウム 開会の挨拶


ご紹介ありがとうございます。東京大学大学院数理科学研究科長を務めております坪井俊と申します。
皆様、当研究科のメンバーを代表して歓迎のご挨拶を申し上げます。
小林昭七先生が昨年亡くなられたことを、まだ悲しく思い出しておりますが、私どもの研究科で小林昭七記念シンポジウムを開催できることを光栄に存じます。


小林昭七先生は1948年に第一高等学校に入学され、第二次世界大戦後の日本の教育改革の中で、1949年に東京大学に入学されました。 理学部数学科において矢野健太郎氏に出会われ、1953年に学士になられました。小林先生は我々の同窓生であります。

大学院に入学されて、フランス政府の給費留学生としてフランスに渡られました。先生はパリとストラスブールに滞在され、エーレスマンの下で研究されました。 その後シアトルのワシントン大学に行かれ、アレンドルファー教授のリサーチアシスタントをされました。 1956年に「接続の理論」という博士論文により、博士号を取得されました。

結局、1962年にバークレーに移られ、この大講義室におられるすべての方がご存じのように、その後ずっと、数学、特に幾何学を指導してこられました。 私も小林・野水の教科書で勉強させていただきました。 日本人の数学者が、ベテランの方も、若手も、バークレーを訪れましたが、いつでも小林昭七先生に温かく迎え入れていただきました。我々は先生への感謝の気持ちで一杯です。


小林先生の当数理科学研究科への重要な御貢献についてお話ししたいと存じます。

数理科学研究科は、1992年に理学部と教養学部のそれぞれにあった数学教室を合併する形で設立されました。 1993年、数理科学研究科の最初の研究科長の落合卓四郎教授は、この新しい研究科の外部評価を行うことを決めました。 その当時、私は外部評価がどういうものか知りませんでした。 1993年に評価委員会が組織され、小林昭七教授、フレデリック・ゲーリング教授、ジェリー・カジュダン教授がメンバーとなられました。 落合研究科長は、小林先生に主査をお願いし、小林先生はそれを快く引き受けられました。

この評価のために1994年の初めに数理科学研究科では研究科教書を作成しました。 小林先生は1994年5月に到着され、評価の準備を始められました。 1994年8月には、ゲーリング教授とカジュダン教授が到着され、評価作業が始まりました。 評価委員会は、ファカルティーメンバー、学生、比較する他の機関の人々の、それぞれとのインタビューを、およそ一月間続けました。 その当時、私は最も若い教授の一人で、このインタビューにかかわりました。 私自身も評価委員会のインタビューをうけ、その時の研究科の活動について説明しました。 小林先生のご尽力により、1994年10月に評価委員会は評価書を完成させました。

この評価書は、明快に書かれ、我々の貴重な財産となりました。 評価書には辛辣な批判というものは含まれず、数理科学研究科の将来への数多くの建設的な提案が書かれておりました。 実際、それは数学と数学者への愛で満たされているものでした。 外部評価の時期には、数理科学研究科棟の第一期棟が建築中でした。 現在までに、提案のかなりの部分は実現されました。 しかし、評価書は現在でも当研究科がより競争力をもつための道しるべとなっています。

1997年小林先生は、大学1年生2年生の数学教育の評価委員を務めて下さいました。 この時も、貴重な評価書を作って下さいました。こちらの大学1年生2年生の数学教育への提言は、まだ実現されていません。 私たちは評価書を勘案してより良い教育を実現する方法を見出さなければならないと思います。 私たちは、この2つの評価書を書いていただいたことを深く感謝しています。


学問的には、小林昭七先生は当研究科にしばしば来られセミナーや研究集会に参加されておられました。 来られているときは、小林スタイルと申しますか、部屋の中に物静かに微笑みながら座っておられました。 今日この大講義室に小林先生がいらっしゃらないのは非常に残念ですが、小林先生はこの大講義室が先生の残された数学で一杯になっていることに満足されることと存じます。


この挨拶の終わりに、小林記念シンポジウムに参加されたすべての皆さんが、数学の面白さを見つけ、小林昭七先生が考えられたかもしれない新しい研究方向を見出されること、このシンポジウムが将来重要なものと振り返られることになるようお祈りします。


ご清聴ありがとうございました。